5月 23, 2012
何事にせよ、、「何々が欲しい」というのは「有」への執着であり、「何々などいらない」というのは「無」への執着にすぎない。結局、「欲しい」と「いらない」は同じことである。「有」への執着が、「無」への執着に変わっただけで、本質は何一つ変わっていない。

渇愛と欲望

依存と反対依存だね。

次に『nandî râgasahagata』。nandî は「喜び」。râga は「愛着」。両方とも喜ぶ心です。 sahagata は「伴っている」。渇愛には喜びが伴っているというのが、二つ目の特色です。三つ目は、『tatra tatrâbhinandinî』。tatra tatraは「その場その場で」abhinandinî は「喜び」。自分の状態をことごとく気に入っていること、大事だと思ってしまうことです。渇愛の三つの特色のうち二つまでが喜ぶことで、とにかく渇愛を喜ぶ心が私たちの中にいつでもあるのです。「渇いている」というと苦しいようですが、生命は何かを探し求めていくことを気に入っていて、いくら苦しくてもそこから離れたいとは思いません。決して自分の生き方を捨てたくはないのです。幸福な人がその状態を楽しむのはわかりますが、不幸な人でさえ、自分の状態に愛着しています。すぐに怒って喧嘩をする人はそれがよくないとわかっていても、やめたくありません。病気になったら、病気が生き甲斐のようになってしまいます。そういうふうに生命のシステムができているのです。
すべての苦しみのもとは、「生きていきたい」「ほしい」という心のはたらきです。仏教では、「ほしい、ほしい」と思うのは真実がわかっていないからだといっています。無明から渇愛が生まれるのです。無明と渇愛がうまく絡み合って、無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています。そこから脱出しましょう、客観的に自分を観ることによって、無明と渇愛を消していきましょう、というのがお釈迦さまの教えなのです。
5月 22, 2012
 騎兵専用の、長さ2~3m程度の槍。突撃用の騎槍は騎兵の花形装備の一つであったが、銃器の発展に従って戦場から姿を消した。しかし冶金技術の発展で騎兵の胸鎧が軽量化されると、再び突撃兵種として評価されるようになった。特に精強な槍騎兵を擁していたポーランドが分割されると、彼らはロシア、オーストリア、プロイセンそしてフランスに雇われ、各国に槍騎兵戦術を伝えた。その結果、槍騎兵は第一次世界大戦まで使用され続けた。

棒・槍

なるほど、重騎兵の復活は冶金技術の向上によるものだったのか。

ミトレイユーズ機関砲
 機関銃は日露戦争終了辺りまで機関「砲」として扱われていたので、大砲として分類した。別名キャノン・ア・バル。
 フランス陸軍のレフィーが主体となって開発された、一本の太い筒の中にに25本の小銃身が入った機関砲。金属板の様な形をした弾倉に25発を詰め、それを所定の場所に填め込み、後方をプレスする様にして押さえつけてセットした。目標を定めて、クランクを廻せば一気に25発が打ち込まれ、90gの弾丸25発が初速475mで奔流の如く目標に向かうと、その威力は絶大な物があった。次弾の装填は装填済みの25発入り弾倉を押し込めば良く、僅か数秒で行えた。
 フランス軍は此の機関砲を対ドイツ戦の秘密兵器として特に重点的に生産したが、突如勃発した普仏戦争に於いては未だ少数が配備されるのみであった。しかも、これらの機関砲は前線の歩兵部隊に随行するには重すぎ、後方の砲兵部隊に配属するには射程が短すぎるという致命的な欠陥を抱えていたのである。結局フランス軍は此の機関砲を砲兵部隊に配備したが、射程距離数百mの此の機関砲は、その十倍の射程距離を持つ敵の砲兵に一方的に破砕された。しかし皮肉な事に、敗北が決まって撤退を始めたフランス軍の中で、殿軍に配置されたミトレイユーズは橋や要害に籠もって猛射撃を繰り返し、追撃するドイツ軍に手痛い打撃を与えている。
 日本では、西南戦争に於いて政府軍が一門(弾薬2000発)を装備。川村純義中将の率いる鹿児島占領隊に配備され、甲突川河岸の陣地で薩摩軍の攻勢を待ったが薩摩軍は動かず、引き揚げた頃に薩摩軍の襲撃を受けた為、結局一発も撃たずに終戦を迎えた。個人的には、この銃が田原坂の戦い等に使用されていれば、多大な効果を上げたのではないかと思うのだが……どうやら、負けが込まないと使えない銃らしい。
 全く余談だが、『ファントム・キングダム』(日本一ソフトウェア)と云うシミュレーションRPGに武器として登場するそうな。属性も正に「ガトリング」で、ガトリング・ガンの上位互換の武器らしい……うーん、マニアック。
口径:13㎜
重量:1.5t

ノルデンフェルト砲っぽい何か
これはイギリスで1877年に発明されたノルデンフェルト砲・・・かな?
ちなみにノルデンフェルトの最初のタイプは水平4砲身なので砲身の数が全然異なります。

ちなみにピンボケで申し訳ないですが、下がその駆動部。

いずれにせよ、機関銃が発展するまでのあいだ、このような多砲身砲が非常にもてはやされた時代であり、ベルギーも数多く輸入していたようです。

ミトライユーズ砲
この蜂の巣のような砲口の大砲は1867年にフランスの技術将校によって発明されたミトライユーズ砲。最初のタイプは25発のはずで、これは37発の銃身を持つので改良型かもしれません。
側方のハンドルを回転させると全弾がほとんど同時に発射されるもので、何とも凶悪な印象を受けますが、操作が煩雑なためにあまり役に立たなかったとか・・・
5月 11, 2012
ゲド戦記のル・グウィンがファンタジーを語るなかで なぜ一部の物語では誰も馬に飼葉をやらないのかと怒ってたな 設定はどうあれ世界の中での統合性や一貫性は大事だよね

むかし、RPGもののマンガで
なんで一日歩くと都合よく町があるのか不思議だったが、
大人になってそれが当然なのだとわかった。

昔は商品を流通させるにも、保存が利かないので一日で行き来できる範囲で物を売った。
したがって、市がたつ市街地は一日で行ける行程の範囲内にできる。
交通網や保存法が未完成であればあるほどこの傾向は強くなり、市場は小さくなる。
そういう研究があるんだと。

専門書中の引用なので、詳しいことは分からなかったが、一日歩けば町があるというのは
別段おかしいことではないようだ。ひるがえせば、一日歩いても人里に着かない
地域に行くのは、旅行者にとって野宿を要する冒険となるわけだな。

5月 5, 2012

親を失う経験をすれば、その世代は不安を埋めるためだけに生きるようになり、その結果第2世代も存在不安を持ちます。そして、上2つの世代の不安を両肩に背負った第3世代に様々な問題や症状が現れてきます。

『3代目は家が傾く』と言われるのは、3代目が甘やかされて育っているからではなく、自律できないように育てられているからだというのが連鎖をたどっていくとわかります。しかし上2世代は、自分たちに不安があるとは感じていませんから、まさか自分たちが不安や恐怖から逃げおおせるために3代目を(無意識に)制御し利用しているなどとは思ってもいません。

この深層心理を知っていれば、3代前に強い不安を与えておけば、3代後には勝手に家が傾く結果を得ることができるわけです。『孫の代までたたる』という言葉がありますが、それは「不安の世代間連鎖」のことを言っていたのかもしれませんね。

4月 27, 2012
地震を起す機械
出所はどこか分らないが、あの大地震大火災で、下町一帯火の海を化した最中に、大塚警察へ飛び込んで来た一壮漢!
「この大地震は西洋で起したんだそうですか真実ですか!?」
「何?」と言ったが、巡査は何のことか意味が分らない。
「チェッ!さとりの悪い巡査さんだな。この地震は、今度西洋で地震を起す機械を発明して、日本を真っ先に
やっつけようとしたんだっていうことですか本当にそうなんですか?警察の方へはまだ宣戦の詔勅の通知はありませんか!?」
と息せき切って訊ねる。
これには流石の巡査も返答の仕様がなかったそうだが、つづいて五六人もこれと同じ質問を持ち込んだ人があったので、
巡査君がポウッとしてしまい、「ハテナ、これはひょとすると、そういう新発見が事実あったのかナ?俺が時勢におくれているのかナ?」
と思ったそうだ。
察するに飛行機その他から、考えついた流言らしいが、さりとはウマク考えたものだ。
(202ページ)
4月 26, 2012
中世では信者を集めるために他の教会から聖遺物を盗み取り、
その顛末と共に堂々と展示される事がよくあった 何故そんな事がまかり通っていたというと 盗みが失敗しなかったという事は聖者が
元の教会に居ることを望んでいなかったと見なされたから
4月 19, 2012
魯迅は「中国史は大まかに二つに分けることができる。安穏と奴隷でいられる時代と奴隷になりたくてもなれない時代だ」と言っている。
4月 6, 2012

40人居てって言ってるやつが居るが、軍隊では25%が行動不能にさせられた時点で壊滅判定、33%で全滅判定が出る。
それ以上の犠牲が出た場合は、士気が維持できなくて壊乱状態になるから。
40人中11人で恐怖が伝染して逃げてるからこの場合も普通だよ。
行動不能者が75%を超えて戦い続けた日本兵とドイツ兵がおかしいんだよ。

ちなみにソ連兵や中華兵のように督戦隊にて恐怖で縛った場合の壊滅や全滅は10%ほど伸びるらしいけど、部隊としての能力は半分以下に落ちるそうだ。
数が多くて攻めてる時ならいいシステムだが、攻められる立場になった途端組織として機能しなくなるそうな。

3月 26, 2012

財務省統計調査より

1986年~1989年の増加率
役員給与+賞与 21%増加
従業員給与   14%増加
株主配当     6%増加

2001年~2004年まで
役員給与+賞与 59%増加
従業員給与   -5%
株主配当    70%増加

2005年~2008年
役員給与+賞与 13%増加
従業員給与  -23%
株主配当   -18%

好景気だったと言われる期間は、一般労働者にはまるで恩恵が無かった。
恩恵があったのは表の通り、役員報酬と外国人投資家とその時の新卒なのである。
新卒の求人数は2006年から2010年までの5年間、かなりの売り手市場だった。